マクドナルドを乗っ取り、創業者と呼ばれた「レイ・クロック」からフランチャイズを学ぶ

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最近はフランチャイズや起業について記事を書くことが多いので、今回はフランチャイズで大成功を収めたレイ・クロックの人生についてまとめていきます。

レイ・クロックは「英雄」とも「怪物」とも呼ばれており、いろいろな意味で注目されている人物です。

レイ・クロックの自伝は、日本を代表する大企業ソフトバンクの孫正義・ユニクロの柳井正の2人からも人生のバイブルとして高く評価されているほどです。
呼び名に劣らず、彼から学べることは非常に多いので是非ご覧ください!👐

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レイ・クロックとは?

レイ・クロック

■名前
レイモンド・アルバート・クロック(Raymond Albert Kroc)
■出身
アメリカ合衆国 イリノイ州オークパーク
■生年月日
1902年10月5日~1984年1月14日(81歳)
■職業
実業家

レイ・クロック=マクドナルドの実質的な創業者

「実質的な」という部分が重要になってきます。

マクドナルドとレイ・クロックの歴史

マクドナルドのMのマーク
1902年レイ・クロック誕生
1940年マクドナルド兄弟がマクドナルドを創業する
1941年レイ・クロックがミルクシェイク製造機のセールスマンになる
1954年レイ・クロックがマクドナルドと出会う
1955年レイ・クロックがマクドナルドのフランチャイズ権を獲得する
1961年レイ・クロックがマクドナルド兄弟からマクドナルドの商権を買収する
1984年世界34ヵ国で8300店展開
レイ・クロックとマクドナルド年表

実はマクドナルド兄弟が創業していた

マクドナルドを創業したのは、
レイ・クロックが最初ではないのです。

1940年カリフォルニア州サンバーナーディーノにて、
モーリス・マクドナルド(兄)リチャード・マクドナルド(弟)がマクドナルドの1号店をオープンしました。

アーチ形のMのデザインも、リチャード・マクドナルド(弟)の発案と言われています。

レイ・クロックとマクドナルド兄弟の出会い

レイ・クロックは1902年にアメリカのイリノイ州で生まれました。
彼は高校中退し衛生隊として第2次世界大戦を経験しました。
同じ衛生隊にはウォルト・ディズニーも所属していたそうです。
その後はピアニスト・紙コップの営業・ジャズ演奏家・バンドメンバーなど様々な職を経験します。

1941年からはミルクシェイクを作る機械の独占販売者となり国中をまわります。
(当時39歳)

そんな中、1度に6個のミルクシェイクを作る機械を8台も注文したマクドナルドという会社に興味を持ちます。

売上が伸び悩んでいた機械が急に売れ始め、
買いに来る人達は皆「マクドナルドと同じ機械をくれ。」と言うのです。

彼はマクドナルドに訪れ、ライン生産のようにシステム化された生産ラインに驚愕し、「マクドナルドのノウハウやシステムをフランチャイズ化して全米に展開したい」と考えました。

1954年、マクドナルド兄弟にフランチャイズ化を提案するも断られましたが、その後何度も粘り強く交渉を重ねた結果、「レイ・クロックの店舗はマクドナルド兄弟の店舗には干渉しない」「名前とシステムを使うだけ」という約束で契約することに成功しました。(当時52歳)

売上の1.9%を、レイ・クロックが受け取り、
0.5%をマクドナルド兄弟が受け取るという条件で契約成立。

結婚していたレイ・クロックは、このとき妻から猛反対を受けたそうです。

レイ・クロック
レイ・クロック

絶対に儲かる!

妻

儲かるとか関係なく、
この歳で今の生活から変わりたくないわ。

しかし、その反対を押し切り翌年1955年に最初のフランチャイズ店をイリノイ州で出店します。

レイ・クロックがマクドナルドを乗っ取る

1961年にはマクドナルド兄弟から270万ドル(約3億円)でマクドナルドを買収します。

1号店のみは買収の対象ではなかったため、マクドナルド兄弟は「ビックM」という名前で1号店を引続き営業してくことになりました。

しかし、なんとその目の前にレイ・クロックがマクドナルドを立ち上げてビックMは倒産してしまいます。

とても非道なことをしているように見えますが、彼はマクドナルド兄弟を貶めようとしてその行動をしたのではありません。

マクドナルドを全米に展開することだけを考えていたら、いつの間にかマクドナルド兄弟からマクドナルドを奪っていたのです。

彼の目標に対する情熱の現れでもありますね。

その結果1984年81歳で亡くなるまでに8300店舗を展開しました。

今では世界に36000店舗以上にまで拡大し世界中の誰もが知っているファーストフード店になりました。

30年で600億円の富を築いた男

レイ・クロックは生涯で5億ドル(約600億円)稼いだと言われています。

しかも元々は一介のセールスマンであったので、そのほとんどがマクドナルドを経営し始めて死ぬまでの約30年間で稼いだ額でしょう。

ここで驚くべきことは当時の52歳というのは現在の52歳とは違うという事です。

彼は52歳の時点で糖尿病や関節炎にかかっていたのにもかかわらずビジネスで大成功を収めたのです。

未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる。

レイ・クロックの名言です。この言葉の通り、彼はよぼよぼになっても成長し続けることをやめなかったのでしょう。

世界一億万長者生んだ男

フランチャイズオーナーは億万長者になる人が多いですが、レイ・クロックは「世界一億万長者を生んだ男」と言われています。

彼は多くの名言を残しており、その名言から彼の考え方の多くを学ぶことが出来ます。

最後に私が印象に残った3つの名言をご紹介します。

『マクドナルドのフランチャイズになるなら100%の時間とエネルギーを投下する覚悟が必要だ。頭脳明晰である必要もなければ、学歴もいらない。マクドナルドに対する情熱と、オペレーションに集中する力が必要だ。』

『この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能があり、教育を受けている人でも失敗している。信念と継続だけが全能である。』

常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、ハードワークを愛せる人物なら誰でも成功できる。

「100%の時間とエネルギー」「覚悟」「情熱」「信念」「継続」「ハードワーク」などのキーワードから彼の熱量の大きさが読み取れますね。

皆さんもレイ・クロックにならって目標に対する気持ちとその継続で大きな成功を目指しましょう。

レイ・クロックの人生が映画化!

冒頭にも紹介したレイ・クロックの自伝『成功はゴミ箱の中に』を原作として2017年7月29日には映画も公開されています。

 「未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる」「この世界で継続に勝るものはない」「信念と継続だけが全能である」「愚直なほど簡潔に」等々、朝礼、社員教育、自己啓発に使えるビジネス名言が満載の孫、柳井両氏の“成長のバイブル”。あなたは観てから読むか? 読んでから観るか?